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  • ライデンとピルグリムファーザーズ   ジェレミー・バングス著
  • ライデン・ピルグリム・ウォーキングツアー
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  • 一般に、アメリカの建国の父と呼ばれるピルグリム・ファーザーズは、イギリス本国での宗教迫害を逃れて1620年にイギリスのサザンプトンから 「メイフラワー」 でアメリカに移住したと思われていますが、正確に言えば、彼らが最初に避難したのはオランダのアムステルダムでした(1608年)。その後ライデンに移り、ジョン・ロビンソン牧師を中心に12年間を過ごしてから、サザンプトンを経由してアメリカに向かったのです。

    12年間のライデンでの亡命生活は彼らにさまざまな影響を与えました。アメリカ憲法の先駆けとなったとされる有名な 「メイフラワー憲章」 もライデンでの体験から生み出されたものだと言われています。その他にも、社会契約にもとづく婚姻制度、市民社会の形成の仕方などにもオランダの影響が現れています。

    ライデンこそ、ピルグリム・ファーザーズの故郷だったのです。

    2009年はオランダ東インド会社の船長ヘンリー・ハドソンがマンハッタンを発見してからちょうど400年で、ニューヨークではさまざまな行事が行われました。ですが、今後の10数年間は、ピルグリム・ファーザーズのアメリカ移住400年がさらに大きな話題になるに違いありません。

    1620年にピルグリムが定住したのはマサチューセッツのプリモスでしたが、1626年に西インド会社がマンハッタン島を中心にニューネザーランド植民地を設立してからは、多くのオランダ人がマンハッタンへ移住するようになりました。

    オランダはマンハッタン島の南端にニューアムステルダムを作り、南北に長い島の中央部にブロードウェイを通し、北部のロードアイランドからコネチカットに植民地を広げました。しかしイギリスの植民地との間には争いが絶えず、ニューアムステルダムを守るために城壁を築き、島の北部に安い住宅を造って入植者を送り込んで防御を固めました。それが現在のウォール・ストリート(城壁通り)とハーレムです。

    植民地では本格的な戦争には至りませんでしたが、本国での第2次英蘭戦争(1665−67)でオランダが負け、ニューアムステルダムをイギリスに明け渡すことで決着しました。このときにニューアムステルダムはニューヨークへと名前が変わったのです。

    またピルグリムは、アメリカ大統領ユーリシス・グラントやフランクリン・デラノ・ルーズベルト、ジョージ・ブッシュ、バラク・オバマたちの先祖です。第1次英蘭戦争(1652−54)の交渉をまとめたエドワード・ウィンスロウも、ライデンの印刷事業でピルグリムの長老であるウイリアム・ブリュースターを手伝っていたことでも知られています。最初のニューヨーク市長になったトーマス・ウィレットはピルグリムの家庭に生まれてライデン大学で学んでいます。

    現在でもしっかり残っているハーレムやブルックリン(ブルーケレン)などの名前もオランダに由来しています。その後アメリカはイギリスから独立しますが、独立国として最初に承認したのはオランダでした。結局、そうした歴史の源をたどればライデンのピルグリムに行き着くのです。

    Obama descends from Leiden pilgrims 05 Dec 2008, DutchNews.nl
    US president elect Barack Obama is descended from the Pilgrim family Blossom, which lived in Leiden for years before heading for America, Leiden council executive Jan-Jaap de Haan said on Friday.
    Obama is the seventh US president with Leiden antecedents, De Haan said.



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